はじん音楽に目覚めるの巻!

山口県下関出身で幼少の頃はおもちゃを買ってもらうより、レコードを買ってもらうのが好きな少年でした。
当時は今のようにゲームなんて無いですから、親父のレコードデッキがおもちゃ替わりでした。

小さいころエレクトーンを無理やり習わされていたのですが、当時は「エレクトーンをやっているなんて女や!」とからかわれる時代だったので嫌で嫌でしょうがなかったのを覚えています。

エレクトーンも小学校高学年には辞め、中学に入り「友達が入ったから」というのを理由にブラスバンド部に入りました。
当時はなぜかトロンボーンが人気があり、今でいうイケメンな感じの子はみんなトロンボーンを志願していました。中学校の頃は体系もぶくぶくと太り、パートは大太鼓とかチューバとか(笑)
いや、全然いいんですよ。大太鼓もチューバも素晴らしいパートです。しかしあの時代は「野球ならキャッチャー」「騎馬戦なら騎馬の正面」みたいなデブ専門パートのイメージがしてて嫌だったんですよね。

当然、キャッチャーも騎馬も素晴らしいパートだと今は思っています。なんなんでしょうね。あの子供の頃のイメージって(笑)
ブラスバンドは頑張ったものの特に音楽に目覚めることもなく日々を過ごしていました。
そして、ついにはじんを音楽の道に引きずりこんだブームがやってきました。

ユーロビートです!ユーロビートを耳にしてから一気にデジタルサウンドの虜に。それはもうカセットテープが擦り切れるほどに!えっ知らない?…カセットテープ…
カセットテープは置いといて、あの軽快な4分打ちのリズムに聞いた事のないデジタルなフレーズ。これはどうやって作ってるんだと初めて作る側に興味が湧きました
それまでに聞いてたアイドルの曲なんかもシンセサイザーが多用されていたのですがその時は聞くことに夢中で作ることに興味がなかったんですね。
興味が湧いちゃったからさあ、大変です!どうやってこの曲は作るんだ?今みたいに「ネットで検索!」なんてないわけですから足掛かりがない。本屋に行くも何を見たらいいかわからない。

そんな日々を過ごしていたある日、とある歌番組に機材をいっぱい並べている人たちが映っていました。そう、TM NET WORKです。小室哲哉さんがコンピューターやら機材やら囲まれて
演奏している姿をみて「これや!」と。そこで初めてシンセサイザーという言葉を覚えました。次の日本屋さんで小室哲哉さんが載っている専門誌的なものを買いました。
それがキーボードスペシャルという雑誌です。その本で色んな知識を得ました。読みながらすごくワクワクしたのを覚えています。

さあ、次に欲しくなるのはシンセサイザー。こんな高価なものを買えるわけないし、買ってもらえるわけないし。
ちょうどその頃、高校進学を決める三者面談があり、担任の先生は母にこう告げました。「お宅の息子さんは絶対志望校に落ちますからランクを一つ下げた方がいいです」と。
絶対って!決めつけちゃったよ(笑)これには母もちょっとショックで志望校をさげるかどうしようかと悩んでいる時でした。
よーっし今がチャンスとばかりに「お母さんよ、志望校絶対受かるからこれ買ってくれ」とシンセのカタログを差し出す。「あんた落ちたらどうすんの?落ちたらあの高校行きやで」
あの高校とは昔で言うビーバップ、今でいうヤンキーだらけの学校である。「そんな高校行くくらいやったらランク落とし」「いやや、俺は絶対志望校に合格するから買ってくれ!」「あんたが受かるんやったら何でも買ったるわ」
「よし!契約成立!」

さあ、天国と地獄をかけた壮絶な受験が幕を開けました。受かればシンセと女子がいっぱいいる志望校、落ちればヤンキーにおびえる日々とシンセの夢も無し。
いやー勉強しましたねー!この時が人生で最大勉強しました。
そして見事に合格!担任の先生もビックリ!僕が初めて手にしたシンセはYAMAHAのV50というシンセ。4オペのFM音源にリズムマシーンまでついたオールインワンシンセの先駆け。
そして値段もお手頃でした。お手頃といっても15万くらいしましたけど(汗)
そこからはじんの音楽人生が始まったのです。

次回は「高校生のはじん、有頂天になる!の巻」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です