はじん大阪に行く!の巻

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そして18歳の春、大きな夢を抱えて大阪に行くことになったのですが、東京に行かず大阪の専門学校に行くという(笑)。

コンピューターミュージックを学べる学校というのが当時はあまり無くて東京大阪に数件しかなかったんですね。今では当たり前のようにありますが。それに下関出身から見れば東京も大阪も大都会で変わらないと思ってたんです。(後にすごい違いを知るのですが…)

そこで勉学に励み…いや、勉強はしてましたがほとんど遊んでましたね。だって見たこともないものがいっぱいあるんですよ!
そりゃ、ちょっと狂っちゃいますよね都会の楽しさに!その学校で知り合った仲間と打ち込みバンドを結成して色んなイベントに出演しました。
当時は機材運搬が大変!Wキーボードという編成でしたから毎回お引越しのような感じ(笑)。ラック機材もあり、スタジオリハのセッティングに1~2時間くらいかかるという(笑)
だから毎回スタジオは安いオールナイト料金でやってまして、夜12時集合で朝6時解散。終わったらそこから遊びやバイトに行く。すごいですね。よくやってたなって思います。
今やったら死んでしまします。(笑)

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頑張ってたおかげで憧れのライブハウスにも出演し、大きなイベントも出演しました。学校も楽しかったし、都会は楽しいし、あっと言うまに卒業を向かえました。

さあ、大変です。気が付いたら卒業していたので、就職する気ゼロのまま社会に放り出されてしましました。
バンドを頑張っていれば何とかなる!俺は絶対に成功するんだ!何の根拠もない自信は何の根拠もないため成功への架け橋はかかることなく…
なんとか事務所に所属し活動していたバンドも鳴かず飛ばず…最終的にはその事務所とも揉めバンドは解散するという道をたどります。

それまでに作った少ない人脈を生かし、舞台の曲や、ラジオCM企業イベント等の音楽を少しずつこなしていきました。ミュージカルの音楽を初めて手掛けたのもこの頃です。(当時使ってたPCはMacintosh IIvx。後にCentris 650。高かった…35万くらいしました。音楽ソフトはノーテーターロジックでした。MIDIオンリーのシーケンスソフトです)
ゆっくりとプロとしての道を歩み始めるのですが、いかんせん仕事が少ない。そりゃそうですよね!経歴も人脈も少ない僕に仕事をくれる人は中々いません。
営業なんてどうすればいいかわからないし、資料の作り方も知らないし。動きたくてもどう動いていいのかわからない。
今ではインターネットを使って自分の作品をアップしたり、Youtube等動画サイトを使ってアピールもできますが、当時はもちろんそんなものはありません。録音のできるディスクツールがMDですから(笑)知ってる?ミニディスク(笑)。今では簡単にCDを作れてしまう…すごい時代になったものです。昔はCDを作れるっていうのが憧れでしたから。

デモテープは持ち29e4249217ed0aca74e7e081b73ab9b4_s歩いてましたが、そもそも関係者が集まる場所とか知らなかったので渡すこともなく…只々持ち歩いてるだけの日々。バイトと少しの音楽目標が定まらない日々。

この時はバイトをしながらまだ音楽で食っていくぞ!という強いモチベーションがあったのでアルバイトも苦じゃありませんでした。
しかし、そのモチベーションも変化のない時間という魔物に蝕まれていくのでした…。

 

次回は、はじん第一暗黒期に突入の巻

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